看護技術に正解はない?
看護の技術には、完全に科学的な部分とそうでない部分があります。処置や投薬など、科学的・医学的に確立している事に関しては、どんな場合にもそうせざるを得ないでしょう。余程極端な場合でなければ、そのやり方が変わることはないでしょうし、いつも答えが決まっているものであれば、身につけることも比較的簡単です。また、ある特定の手技を身につけたければひたすら練習と実践を繰り返すしかありません。
こちらのサイトで、そんながんばっている看護師たちの奮闘と魅力を感じとることができますよ。
一口に「看護技術」と言っても、そうした客観的なことばかりではありません。看護は単に患者の治療を行うだけでなく、生活全般に関わる行為です。そのため、看護師が行う行為には患者とのコミュニケーションや聞き取り、身の回りの世話などお互いの主観的要素が入り込んでくるものも多数あります。例えば、患者の寝かせ方をとっても、それが看護技術の教科書通りの方法であったとしても、人によっては不快だ、配慮が足りないなどと言われるかもしれません。ある患者には通用した言い方が別の患者からは怒られることもあります。特に、入院している患者に対してはその生活全般どころか、それまでの人生で培ってきた価値観や感じ方までをトータルに考えなければならず、きりがありません。まして、それを多数いる患者一人一人に対して、というのは実際ほとんど無理な話です。
同じ行為であってもある人には正解、またある人には不正解というのであれば、何が「正しいやり方」なのか分からなくなってしまいます。現実的にはそれぞれ境遇や考え方の違う患者に対し、ある程度合わせつつ最大公約数的な所に落ち着けるのが精一杯というところでしょう。たくさんの患者がいる中で一部の人にばかり時間を割いていたり、特別に扱っていては他の患者からも不公平感が出てしまいます。それでも、できる限りそれぞれのニーズに合わせた看護をしようとするのが看護者としての努力のポイントかもしれません。
さらに日本人の場合、相手が看護師であってもあまり他人に迷惑をかけたくないとか、不平や不満を言うと悪い、という気持ちが強い傾向があります。しかし、中には逆に頻繁に看護師に不満を訴え、頼ってくる患者もいます。そうなると、看護師の方としてもそういう「目立っている」患者の対応が優先となり、本当は言いたいことがある「目立たない」患者の対応はおろそかになりがちです。何か頼みたいことがあったのに「看護師さんが忙しそうだったから」と黙っている患者も多く、そういった隠れたニーズも察知することも一つの看護技術として求められるのです。